人間生活のおもいで

日常のつぶやきと、なんか知らんけど誰かが楽になるヒントを雑記する

思い込みだった!の発見

今日も過去の私へ手紙を書いていくね。


そういえばなんだけど、小学生の頃、

お気に入りのノートにお気に入りのシャーペンを使って、自分との交換日記みたいなことをしていたよね。昨日の私に伝えることとか、明日の私への申し送り事項とか。

あの感覚は楽しくて好きだったよ。私と通信できるのは、私にとってずっと楽しいことなんだね。もう年齢も見た目もだいぶおばあさんなのに、根っこは今でも変わってないみたい。

私は私なんだなあ。

 

今では身体の感覚や声の響きで、「見えない内側の存在の通訳」みたいなことをしてるよ。筋肉の状態から、何に反応しているのかを探すセラピーを仕事にして、対面で自分にも人にもたくさんやりすぎて、結果的に筋肉に触らなくてもできるようになってた。

 

こんなにハマった一番の理由は、自分のことを知りたかったから。

でも、道のり遠かった。

自分と繋がれなくなっちゃってたんだもん。

好きなもの、嫌いなものもわからなくなってたよ。

 

みそからぶっ壊れて、動けなくなったりもしたよ。

とにかくね、死にたかったんだ。死んだら楽になれると思ってた。いろいろやり方を調べたよ。どれも大変そうだった。あと、誰かに見つかるのも癪に障ると思った。変な思考だよね。それも当然だよ、だって頭狂ってたんだもん。

 

こんなになってしまって、中学の時の頑張ってた私に申し訳ないなあ、など思ったりもしてた。とにかく情けなくてね。生きてる価値なし、とか自分を審判してた(当時はほんとごめん)。

 

そんなしんどいところから、今は人さまに「元気になった」「スッキリした」など言って頂けるようになったわけで。それまでの間、めちゃくちゃ紆余曲折を経たんですわ。私が理想としていた大人になれてなくてゴメンだけど、過去の私の理想の生活は誰かの理想だったことを知っているから、あのまま間違った路線を生きなくてよかったと思ってる。今の私は、どんどん自分を好きになってるよ。私は闇のプロフェッショナルだな!って開き直ったら、余計に好きになった笑

 

自分のこと、あんなに大嫌いだったのにね。当時の自分には信じられないだろうけど、この自分好きが今の現実なのよ。私は自分といると安心するし、楽しいと感じてる。

 

自分が自分の気持ちに耳を傾けられるようになってからだね。自分に否定されないっていう安心感はすごく大きいな。

 

しんどかったこどもの時からのこと、思い出さないように蓋をしていたり、変な誤解をしていたり、記憶に残らないように処理されていたり(いわゆる記憶障害)してたけど、ずっと望んでいたから、時期が来て、いろいろ見れるようになったんだ。

 

おかげさまで、いろんな思い込みを発見することができてるよ。

本当に、思い込み劇場の中で生きてきたんだなあ!って、笑っちゃうくらい。

笑っちゃうなんて、ごめんね。

当時の私は必死だったんだよね。わかるよ、私がその本人だもの笑

でもね、ものすごく大げさなどこかの国のドラマを見るみたいな感覚なのよ。

そしてドラマは、派手に大げさにアップダウンがあった方がわかりやすいのよね笑

 

つまり言いたいことは、

たくさんの過去の死にたかった私に、生きていてくれてありがとう、ということ。

昨日も書いたな。でもほんとに感謝してる。

私がいたから、こんな面白いことが出来ているってことを、私がちゃんと理解するまで伝え続けたい。

 

ーーー

 

私の内側の反応。

 

自分に感謝の気持ちを向けても、内側の存在に全て受け取ってもらえている感じがしない。

 

自分のことを無価値だと思い込んでいる方がまだメリットがある、と勘違いしていそう。

 

「慣れてるから安心」だって。そりゃそうだな!!!無価値歴の方が長いもんね。

 

私が存在しているだけで価値があるって、全身全霊での納得感には至ってないから、まだちゃんと理解してないんだな。もっと理解を深めていこ。

 

こうやっていらない回路が見つかったり、新しい回路を学び直したりするの、楽しいよ。また遊ぼうね。おやすみ。