思い込みの仕組み、みたいなもの
思い込んでいたことって、たくさんあったよね。
例えば「この人の言うことを聞かなければならない」とか。
なんで思い込むに至ったかというと、原体験では「親の言うことを聞かなければ生命維持が難しい」というくらいの恐怖を味わったから。
こどもの時に味わう恐怖は、
●家にいさせてもらえない(他に生活できるところがない)
●ご飯をもらえない(自分で買って食べることができない)
●放置される(自分の声が誰にも届かない、誰にも認識してもらえない)
などなど。
大人の肉体になってしまえばずいぶんと解決できることだけれども、その強烈な恐怖体験の不快感を回避するために、意識の底に追いやって感じなくさせる、
意識では思い出せないけど、意識の底のほうにジリジリと疼く感覚だけが残り、なにかをトリガーに反応を起こす。その「なにか」とは、自分が忘れてしまった意識の底の「感」が映し出されたもの。
だから、自分の反応に一番の答えがあるんだ。
嫌だな、と思うことがあれば、私はどうしてそれを嫌だと思うんだろう?と疑問を持ってもいいんだよ。
嫌だと思ったらいけない!と怒られたりしたよね。でもそれも、言った人がそう思い込んでいただけのことなんだ。
生きていくためには親の愛(お金、ご飯、身の回りのお世話なども含む)が必要だったこども時代は、愛を得るための交換条件として飲み込むしかなかったんだ。
そうやって、代々こどもは、自分という個性を消して、肉体の存続のためにサバイバルするの。大人になって、肉体的なサバイバルは必要なくなるのに、意識の奥底に閉じ込めたデータがバックグラウンドで動き続けちゃうんだ。
そうやって、自分にとっての常識、正しさ、基準が自分の世界を作り上げ、その世界から逸脱した人は許せなくなる。だから喧嘩や戦争をするんだよ。
でもね、どうしたって、思い込むことしかこの世は存在できないの。だってこの世は幻のようなものだから。人の意識のカタマリで、「ある」ように感じているだけ。VRみたいなものと言ってもいいかもね。
どのみち思い込むしかないのなら、ネガティブな思い込みの世界で生きるのか、ポジティブな思い込みの世界で生きるのか、自分はどっちを好むのかを自分で納得したいよね。
知らない間にネガティブな思い込みが普通だと思っていたことを、それが当たり前ではない、ってこんな歳になってから知るんだもの。
もっと早い時代の私に教えてあげられたらよかった。
もし、小学生とか中学生とかで苦しんでる子がいたら。
このブログを偶然みた人が、その子らに脳の使い方の発想を教えてあげられる可能性もあるかもしれないから、
私は、出会ったことのないその子らは過去の私だと仮定して、この手紙みたいなブログを書き続けるよ。
私にはこどもがいなくて、自分の遺伝子を残せなかったけど、もっと広く大事なもの(みえないもの)を遺せる気がしてる。
過去の私を愛してるよ。また明日ね。おやすみ。