エゴに力が無かったことを思い知る昨今の話
自分で書いたことに沿って行っている感。
私の指が勝手に動くことを、後から私の脳と身体が追随する。
まったく元気が出る気配がないが、楽になってしまった。望みを持たないということは、自我は悲しむが、真我的には楽なことだ。執着の発生のしようがないからだ。
自分がどんな心持ちであっても、ものごとは、なるべくしてなる。魂が決めたことに、私の気持ちなど関係ない。影響があるとすれば、抵抗のノイズにより進みが遅延することだけだ。
何も持っていないのだから、「今」をやる。
「今」のことをやれば、魂の選んだ人生になる。私は魂が何を選んだかなんて知らない。出力されたものを見る楽しみが、与えられている。
私が何も知らなくても、魂が知っている、それでよい。